お亡くなりになった方を、お寺が責任を持って永代にわたり供養・管理することです

浄光寺について

浄光寺は正安3年(1301年)に華厳宗常超和尚によって開山された。その後応安年間(1368年~1375年)に寛海住職により真言宗となり、天正年間(1573年~1592年)に時宗となった。天台宗の寺となったのは、江戸時代初期の寛永年間(1624~1644)純賢住職の代のことである。この時、徳川幕府より寺領三石を賜った。曼荼羅

記録によると、元禄元年(1688年)に本尊・阿弥陀三尊と薬師如来の修復が行われた。その際、日光・月光菩薩および十二神将は虫食いのために修復できず、新たに作り直された。享保9年(1724年)、川中子村(現 上三川)光西寺の阿弥陀三尊が落合清兵衛本武により浄光寺に移されたことが、記録に残っており、現在の本尊がこれである。おそらく、火災などで焼失したのではないかと推測される。また薬師如来立像は、鎌倉幕府後半の作と考えられる。現在は町の文化財となっている。

境内には時宗の板碑が残っている。南無阿弥陀仏の名号が刻まれたこの板碑は、鎌倉末期の建立で、以前は3枚あったと伝えられるが、現存しているのは2枚、また小型の板碑2基が境内から
発見されている。こちらも町の文化財である。山門は記録が残されていないが、明治以前のもの、本堂は平成15年に落慶した。

薬師堂薬師像